東福茶宴の由来

『七五〇年余前 聖一国師は、佛鑑禅師に就いて六年間修行した。帰朝の折、径山茶の種を持ち帰り出身地の栃沢に伝え、静岡茶の起源となる。栄西禅師は、天台県「雲霧茶」を伝え宇治茶の茶祖であり、「径山茶」を伝えた聖一国師は静岡茶の茶祖である。(「淡交社 古寺巡礼 東福寺」より)』

栃沢に生れた龍千丸(後の東福寺開山 聖一〔しょういち〕国師)は宋に渡り、径山万寿寺に学びました(1235〜41年)。1244年、帰国の挨拶に栃沢の母を訪ね、そのとき竹の杖に茶の実を入れ伝えられたと言われています(当時、お茶は薬として用いられる貴重なものでした)。

1241年、聖一国師は帰国して間もなく径山万寿寺が全焼したことを聞き、板千枚を送りました。この時に佛鑑禅師から聖一国師に送った礼状が今も残っており、「板渡しの墨蹟」(国宝 東京国立博物館蔵)と呼ばれ珍重されています。

「大宋諸山図」や聖一国師が絵師に描かせ持ち帰った「径山図」の絵図を基に1997年に径山万寿寺は、七堂伽藍が揃い350年ぶりに復興されました。そこには、東福寺をはじめとする禅宗各位の法源への篤き想いと感謝の念が感じられます。


国師の学んだ径山万寿寺内では茶会が開かれ「径山茶宴」と言っていたようです。国師も一服したことでしょう。聖一国師が伝えた「禅苑清規」(禅宗僧侶の行儀作法、茶礼など)、法弟大応国師の持ち帰った茶道具などが日本固有の茶道文化の基となっています。

このような歴史を背景に、東福寺での茶会を故事に習い「東福茶宴」と称しました。 


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東  福  茶  宴

東福寺御開山様(聖一国師)は宋の国 径山万寿禅寺に学び、 茶を故郷 静岡に伝えたとされる静岡茶の祖です。 修行されていた径山で「径山茶宴」という茶会が行われていたという故事に習い、ここ東福寺での茶会を「東福茶宴」と称しました。 2020年から毎年12月上旬に行われる無料の茶振舞いは、 御開山様の故郷 静岡と縁ある人々によるおもてなしです。 茶宴は、㈱ロイヤルブルーティージャパンの商標です。